小説の題名 第2章

今日は食べに行く気も買いに良く気も無かった。結局、加藤は数あるメニューの中からそばを選んで注文した。しばらくして、ピンポーン、と来客者を告げるチャイムが鳴った。その時まで活動を停止していた加藤の大きな体が動き出し、足取り軽く、空腹を満たすべく、樋口一葉を持って玄関へと向かった。勢いよく扉を空けるとそこには加藤と同じくらいの背格好の男が立っており手にはトレーに乗せた商品を持っていた。

 

「お待たせしました。600円になります」

待ってましたとばかりに加藤は札を男に渡す。引き換えに男のトレーを受け取った。その瞬間和風のスープの匂いがラップ越しに鼻をくすぐった。思わず微笑む。男はポケットから財布を取り出してお釣りを用意している。

「はい、ではお釣りの4400円…あれ?」

男の声が、驚きに変わった。おかしいと思った加藤は男に目をやる。

「お前、加藤じゃないか?」

よく考えると、確かにその声は聞き覚えのある声だった。記憶の奥底からその声の主を探す。いた。一人、該当する奴が。その人物の名前を加藤は言う。

「もしかして…カズヨシか?」

カズヨシと呼ばれた人物は縦に何度も首を振った。

「そう、小杉だよ!小杉和義!懐かしいなぁ。また太ったんじゃないか?お前」

「お前こそ、全然変わってないくせによく言うよ」

 

小杉和義は加藤と中学が同じの同級生。現在は違う高校に通っているのでめったに会わないが、中学時代は仲が良かった。それと言うのも、二人には色々と似ている所があったからだ。名前から始まって趣味、好きな本、映画、音楽、色。運命の赤い糸で結ばれているのではないか、と思うほど共通している部分が多い二人はすぐに意気投合した。

 

二人はしばらく玄関先で互いの近況を話していた。最近どうだとかテストがもうすぐだとか中学の同級生の服部がまた振られただとか。加藤はそんな他愛も無い話をしているこの雰囲気が好きだった。やはり、話しなれている奴との話は良い。そう加藤が思っていると、小杉が突然聞いてきた。

「加藤さ、新しいクラスもう慣れた?」

加藤がうつむく。それを見て小杉は

「俺はまだ。一年のときは知ってる奴がいたから良いけど、二年は全員知らない奴ばっかで」

「俺も」

加藤が続ける。

「俺も、全然で。なんていうのかな。自分だけが浮いてる感じ?わかっちゃいるけど、馴染めないって言うか…うん」

「そっか」

間髪いれず、小杉が続ける。

 

「あのさ、真弓ちゃんって今どうしてる?お前、同じ高校だったよな?」

真弓。長瀬真弓。ふっと、昼の出来事が思い出された。加藤が嫌な顔をしたのが小杉にばれたのだろうか。顔にハテナマークが浮かんでいる。とりあえず加藤は

「フツーだよ。フツー。クラス違うからたまに会うくらいだし」

ふーん、と小杉は返す。顔はまだ納得した表情では無かった。

「じゃあさ、彼氏とかいたりするのかな?真弓ちゃん」

「はあ?」

「だってさ、普通の高校二年生だったら一回くらいはそういう経験するはずだろ?」

ストレートすぎる発言。でも、加藤はそういう小杉が嫌いじゃなかった。

「そういう噂は聞かないよ。まあ、いないんじゃないか?」

「本当にか?」

「うん。でも、あの様子じゃ出来ない気もするけど」

「あの様子?」

 

加藤は昼の出来事を話した。小杉の事だから笑って答えてくれるだろう、なんて事を思っていたのに、話している途中から小杉の表情が曇っていった。加藤はこの予想外の反応にどう対応して良いのかわからなかった。小杉はまだ顔をしかめている。間の悪い沈黙が流れる。それを破ったのは、加藤。

「まあ、どうでもいいよ。食わなかったからって死ぬわけじゃないし」

「どうでも良いって事、ないだろ」

小杉の顔は先ほどのものよりはっきりと読み取れる。怒っている。あの小杉が。驚きを隠せない加藤は失笑を交えて、どうしたんだよ、と尋ねる。

「そろそろ帰るわ。もう遅いし。うちのバイト先の親父さん、怒ると怖いんだよ」

小杉は加藤に背中を向け、歩き出そうとした。しかし、動きが止まったのを加藤は見逃さなかった。小杉は体を斜めに、顔をこちらに向けて

「なあ、加藤」

「ん?」

「お前さ、その…」

小杉はうつむいて何か考えているようだった。目が合うと、口を開いた。が、すぐに閉じてしまった。

「なんだよ」

「あのさ、そば。…冷めてたら、ごめんな」

「いいよ、気にするなって」

 

家に入った加藤はそばを乗せたトレーを居間に持って行き、テーブルの上へ置いた。サランラップがかけられたそばの器はまだ熱を帯びている。しかしサランラップを取ると湯気がほとんどなかった。加藤は独り、そばをすすった。案の定、そばは微妙な温度を保っており、スープも生ぬるく、油揚げも同じだった。加藤は黙々とそばを食べた。器の中身が空になると加藤は箸を合わせて、言った。

「ごちそうさまでした」