しばらく時が止まったように感じた。紅潮し始めた顔にひんやりとした風が当たる。その風は大樹の葉を揺らし、いかにも心地よさそうな音を作り上げていた。そこで、俺の時間は再始動した。
「あの…す、すいません」
気づくと目の前には数十メートル先にいたはずの彼女がいて、俺に話しかけていた。
「は、はいっ?」
「確か2年4組の人、ですよね?私、転校してきた早川なんですが…」
もちろん、忘れるはずはないが、気づいた振りをオーバーにした。
「あ、あー!うん、どうしたの?」
「ちょっと道に迷っちゃって。職員室までどうやって行けばいいのかな、と思って」
「えーっと、職員室は…」
―――職員室は、B棟にあるよ。
そう言ってしまえば済む話だった。だがこのとき、急に一時停止した脳がとてつも無い事を、俺に言わせた。
「職員室まで遠いから俺が連れて行こうか?」
言った瞬間、顔が今までにないほど紅潮していただろうと思う。ほとんど初対面の奴にそんな事を言われたら、ほとんどの奴は引くはずなのに。
無論、彼女は困った顔を浮かべていた。しかし、右手の拳を口元にあて、目線を下に逸らすそのポーズが妙な期待を俺の中に生んだ。
「でも、時間とか大丈夫ですか?」
「ああ、全然大丈夫!気にしないでいいよ」
再び彼女は思考のポーズに入ってしまった。数秒たった後、彼女の口が開いた。
「じゃあお願いします」
俺の脳内にあった笑顔とは全く違う、自然な笑顔を向け軽く会釈をした。
返事の代わりに出た俺の笑顔はきっと、中川の格好の餌食に違いないだろう。